雑音工芸品
 
 
 世界の全てはノイズで構成されていて、己だけが純正な存在だ。外と内との齟齬、違和感を抱くと同調者を探し出して束の間安心するも、今度は “何の意味があるのか”、“何の価値があるのか” と虚無感が襲う。この世界には本来確固たる意味も価値もなく、ただ思考する人間だけが意味を提案し価値をでっち上げることができる。存在する無数の宗教、思想、哲学、社会、文化、コミュニティー、ストーリー、アート、音楽、それらは全て人類の手による工芸(クラフト)に過ぎない。
 
 純正な己がノイズの海の中で生きることは言うまでもなく困難だ。だから人類は言葉によって世界を整理し、編集した。あらゆる物事に名前を付け、意味を見出し、価値を与えた。そうして編集された世界を次の世代が生きていく。その世代は自分が生きている世界が過去に作られた容器であることに気付きもせずに人生を送り、やがてその容器の中で、作られた意味と価値の中で死ぬ。世界はただその繰り返しであり、繰り返せば繰り返すほどにそれが工芸品であることは忘れ去られ、ますます本質から遠ざかっていく。“意味などどこにもない”という世界の本質から。
 
 ものを作れば余りが出る。生産すればゴミが出る。そのゴミは編集済みの視点からは理解不能の不快なノイズとして映る。既存の工芸品にノイズが見つかっても、それが工芸品であることを知らない人間、本来的にそういうものであるとしか思っていない人間にはそれが何なのかを理解することができない。わからないので排除しようとする。耳を塞いで聴こえないということにする。更には対象となる人を、生命を、正義の名を打って言葉通り“殺す”。
 
 容器の中での生命活動はどうしようもないほどに窮屈だ。全ての物事が知覚できないくらいの雑音になればこの世界は少しは生きやすくなるのだろうか。
 
 死というものはそんな感じなのだろうか。
 
 ノイズの海の中で純正な己が生き残るためには、ノイズを己の手で再構成することだ。我々は世界から絶え間なく鳴り響き続けるこの雑音を、耳を塞いで排除するのではなく、開かれた己の耳で再認識し、己の手で再構成することができる。
 
 私は世界を編み直す。ただ私の思うように。
Noise craft
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